カラーコラム番外編「サイン」について

ほぼラブ手帳2016【宇宙】

最近、何度も何度も何度も、同じ色が出てきます。

色だけでなく、ふと目にした記事であったり、親しい人に起こった出来事であったり、そんなところでも同じキーワードに出会います。

 

【見える】ということはそういうこと!

と教わりました。

 

一時期、『私にも目に見えないものが見えたらいいのになぁ~』と思っていたことがあります。笑

自分の言葉に説得力が増したり、自分の直観を信じる要素となってくれたりするかなぁと思ったわけですね(^ω^;)

 

その後しばらくして、『目に見えないものが見えるということは、厄介である』という考えに至りました。

というのも、私の目から見てその(見える)人は明らかに精神のバランスを崩している状態であったにも関わらず、見えるのです(私たちには見えないものが。化け化けさんとかでなくね)。

 

【見える=サイン】であるとは私も思っていますが、バランスが崩れている時に見えるものを信じて進むというのは、破たんの状態に近いということを人様事ながら体感したのです。

人は人たるが故に、様々な感情や様々な心身状態の時があると思います。

常に一定である、おごらず、偏らず、普通である、ということはとても難しいことのような気がします。(一定でないから面白い!とも思っています)

 

その直後に、【見える】ということは、私が思っているようなことではない!とメンターから教わったのです。

【見える】ということは、冒頭に書いたようなことであったり、現実にリアルに起こることなのだと。

 

私は感受性が豊かで、色々なものに共感することが多いので、人の気持ちを吸収しやすかったり、それゆえに迷いが生じやすいタイプだと自己分析しています。

だからこそ、何度も何度も何度も、しつこいぐらい同じサインが見せられるのだなぁと、我ながら苦笑してしまいます。

 

私のカラーコラムを気に入って読んでくださる方は、きっとどこかで私と波長が似ているのだと思います。

なので、私の感じる【変化】の波は、皆さんのもとにも訪れているかもしれないなと思っています。