我思う、故に我有り。
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色々な人と関わり
様々な場に身を置き
私のこころは忙しく動いて生きている。
「人は皆、かけがえのない、他に類を見ない、私オリジナルの人生を歩んでいる」
「人はかならず1つ以上の専門家(スペシャリスト)である。
私は私の、自分という人生のスペシャリストである。」
「かけがえのない自分」であり
“かけがえのない私” は “ふつうの私” でもある。
「ふつう」=当たり前。自然(ジネン)。不通の。通常の。正規の。並の。平凡な。
・・・だから目に見えにくく、価値を実感しにくく・(自分の)意味をみつめる機会が少ない。
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人に与えるとか、与えられるとかは正直どうでも良い。
与えたい人は与えれば良いし。
与えたと思うも
与えてもらったと感じるも、個人個人のこころの動き。
人のこころを誰かの意思で留めることはできない。
みんな一人一人異なる思考や嗜好を持つ。
その人の“ふつう” は、その人の“ふつう”であり
あの人の“ふつう” は、あの人の“ふつう”
共通項目はあるかもしれないし、ないかもしれない。
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私はどこに、向かおうとしているのか?
私にとって、幸せな死にかたとは?
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今日のアウトプットでした。
おやすみなさい。